2月2日(水)理性によるコントロールでアソシエーションへすすもう。

交通費は行き帰り270円✕2=540円です。

朝食はピュアな富士山麓の水100㏄と甘王イチゴ(大)4粒=150円、昼食は鯖の煮付けとチキンフライ、味噌汁、漬物、ご飯、ミニサラダ付きで950円、夕食はカレーうどん定食で800円、食費の小計は1,900円でした。

 

今日は、午後6時半から、北法律事務所にて第24回未来研究会に参加しました。

一番最後のコラムと補論について、こんなレジュメを出しました。長いので流し読み程度で。

                  未来研究会 第24回レジュメ
                                                            2022年2月2日 
 『資本主義の成熟と終焉 -いま私たちはどこにいるのか-』(小西一雄著)

 

「コラム インフレーションの話」(P187)
 あるフィクションの世界
 偽札の偽造と貧困層へのばらまきのたとえ話 ⇒ 貨幣流通量の倍化と商品の需要の大幅な拡大による物価の上昇、貨幣価値そのものの減価。結局長期に貨幣価値の減価が進み物価上昇が倍、となった時点でもともと5兆円持っていた富裕層と、偽札を与えられた貧困層が同じだけの商品を手に入れ、そして市場に残るのは2倍となった物価である、という「フィクション」。

 ノンフィクションの世界へ
 本物の貨幣である場合。(政府紙幣と日銀券の話は金融と信用の機関の関係にすぎない)
 「今回のコロナ対策としての給付金のような場合」(P189L3)現実の流通貨幣か諸種の信用通貨などか。
 「しかし、政府紙幣であれ日銀券であれ、いずれも輪転機を回して紙幣を増発をする能力を政府なり日銀なりが持っていることを前提としてはじめて、政府による市中への任意の購買力投入が可能なのだから、さきのフィクションの世界は荒唐無稽な話ではない。」(同PL7 )
「今回のコロナ大不況対策としての財政支出の『真水』の部分の規模」
(同P後ろからL3 )
 「このような急速な通貨量の増大にもかかわらず、ここまで物価の上昇傾向がみられないのは、コロナ大不況のただなかにいるからである。しかし、いずれゆるやかに景気が回復する過程で、通貨残高の急拡大の影響はじわりじわりとインフレの進展となって顕在化していくであろう。」(190PL5 )

 南北戦争期のグリーンバックス・ダラーの話
 「むかしもいまも輪転機から富は生まれない」(191PL7 )

 コラムについての雑感
 今日、金融と信用経済の土台は、きわめて重大な危機に直面していると思います。それは、様々な出来事を通じて、金融の信頼性と信用そのものが限界にきていて、怪しげな、疑わしいものに変貌しつつあり、変容しようとしているからではないか、と思います 。 
 まずフィクションとしては、明確に犯罪である偽金づくりが主体となつて流通貨幣量が倍増する、それで物価があがり、インフレになる、という経済現象は、契機としてとらえるなら、起こりようがないことなのではないか、と思えます。これはもう経済面での治安の攪乱でしょうが、実際には流通貨幣量のなかに信用経済の領域を勘定に入れないと、本来実体経済から乖離してゆくカジノ経済に対しての科学的で厳しい批判は成り立たないことになります。また、犯罪というレベルでは、仮想通貨の掠奪事件があり、クレジットカードの個人情報が盗まれ勝手に使われるとか、少し前にはテレホンカードや交通系カードの変造などもおこり、高齢者に対する特殊詐欺事件は老後資金のかなりに高額のお金をだまして取り上げてしまうという社会的にも被害者個人としても甚大な被害と酷い内容のものです。これは金融・信用が爛熟し、腐ってきている象徴かもしれません。しかし、それらが一国の経済にどの程度の影響を与えるか、というと、社会と経済の秩序を破壊するまでのものとはなっていないし、ならないのではないか、と思われます。
 ノンフィクションとしては流通貨幣量の増大が、コロナ禍での助成金などとして、水増しのように投入されているとしても、それは貧困層を飢餓や野垂れ死にからなんとか救済し、先進資本主義国として起こってはならないことを覆い隠すためにも社会として必要なことですけれども、筆者が述べているような食品などをはじめガソリンの高値など必需品を中心として物価高が実際に始まっていることは重大です。コロナ禍という100年に一度のパンデミックのもとにあって、どうしても国民が相次いで路頭に迷ったり餓死したりする事態を生まないよう、最低限の救済措置を講じていることから、経済現象としてのインフレが始まっていくということはいかにも経済の人間に対する皮肉とか復讐にも思えます。
 要するにこのようなリアル世界での経済現象を正確に分析し押さえて政策の基礎としていくことが、コロナ後を見据えての経済政策を検討する土台でなければならない、と思います。政治はパンデミックにも、そのもとでの経済政策にも成功していません。
 このコラムの結論が、「むかしもいまも輪転機から富は生まれない」だけでは、なんとも竜頭蛇尾の感を否めないようにも思いますが、筆者がこのコラムで言いたかったことが何なのか、報告者にはずっと通して読んでも、よく理解できませんでした。ご参加の皆様からお教えしいただければ幸いです。

 補論 歴史としての資本主義
 マルクス歴史観
 本書の分析の基本的な視角はマルクスの資本主義論と歴史観(P193)
 資本主義は人類の前史の最終段階 ⇒ 人類の本史としての未来社
 史的唯物論、歴史についての唯物論の定式にもとづく、この著書全体の再度の振り返り。
 2つのマルクスからの引用。
 「社会の物質的生産諸力は、その発展のある段階で、それらがそれまでその内部で運動してきた既存の生産諸関係と、あるいは同じことの法的表現にすぎないが、所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏に逆転する。そのときから社会革命の時期が始まる。経済的基礎の変化とともに、巨大な上部構造全体が、徐々にであれ急激にであれ、変革される」(P193終わりからL2)
 「一つの社会構成体は、それが十分包容しうる生産諸力がすべて発展しきるまでは、けっして没落するものではなく、新しい、さらに高度の生産諸関係は、その物質的存在条件が古い社会自体の胎内で艀化されおわるまでは、けっして古いものにとって代わることは ロリツノない。それだから、人類はつねに、自分が解決しうる課題だけを自分に提起する」(P194L3)
 筆者による3つの内容の要点摘示
 「第一は、資本主義的生産関係、つまり資本-賃労働関係が支配する経済社会、いいかえれば利潤獲得とその増大をすべての経済活動の原動力とする経済社会、そのような経済社会の内部で生産諸力の発展が難しくなるまでは、資本主義は没落しないということである。第二は、生産諸力の発展が資本主義のもとで難しくなるばかりではなく、同時に、次の経済社会の物資的諸条件が十分に成熟していなければ、新しい生産諸関係は到来しないということである。この第一と第二の問題はいわばメダルの表裏であって同時に進行する過程である。そして第三は、そのような諸条件が成熟するとそこに社会革命の時期が始まるのだということである。」(P194)

 スターリニズムの残渣
 スターリニズムソ連型社会像と、マルクスのアソシエーション ⇒ 
 第一「社会主義はその生産力の到達点を前提として、生産力発展の成果を労働時間の短縮につなげるというまったく新しい経済社会として構想されていた。」(P195後ろからL3)
 第二「資本主義の胎内で未来社会の諸条件が胚胎し成長していく」(P196末尾)
 第三「「社会革命」の理解と関連して、『政治革命』の意義を過度に強調する考え方である。誤解を恐れずにいえば、『前衛党』という考え方である。」(P197L2)
 「一言でいえば、資本主義にいたるまでの社会システムの移行は自然発生的に実現されてきたが、社会主義への移行は目的意識的な過程であり、目的意識を具現し指導する革命の司令塔、『前衛党』が必要であるというものである。いわゆる『プロレタリア独裁論』はこの考え方の延長上にある。」(P197L5)
 「マルクスエンゲルスも、資本主義から未来社会への移行は、これまでの歴史のたんなる延長上にあるものとは考えていなかった。」(P198L8)
 「資本主義から未来社会への移行の条件もまた、これまでと同様に、さきにみた三つの条件を満たすものであることに変わりはない。」(P198後ろからL2)

 歴史に対して謙虚であることが必要だとしても……
 ロシア革命レーニンの経済政策たたかいの意義、スターリンへの継承と大きなゆがみ
 ロシア革命から現代まで
 「前衛党」一党独裁のもとでの国家資本主義
 ソ連・東欧の政権転覆 - ヨーロッパの共産党ユーロコミュニズム化と大きな後退

 資本主義の歴史的限界とはなにか
 P203注94 - 重要
 復習の叙述。

本日は、以上です。