2月16日(水)本日も愛知県の新型コロナウイルス感染者は6,591人になりました。

交通費無し。

朝はピュアな水100㏄で10円、昼食はフランスパンとコロッケ、キャベツサラダ、きなこパンで600円、夜はそらまめ、卵炒め、たいの刺身、カニカマの酢の物、梅干し、らっきょうとご飯で790円、食費小計は1,400円です。本日の支出はこれだけです。

 

『価値形態論と交換過程論(上)』は10頁まで読み、まず商品論において、使用価値と価値の実態である一般的抽象的労働、ついで尺度としてのその労働における継続時間の対比、一商品と他の商品との交換からは決して価値が生み出されることはあり得ないが、価値は現象形態として、価値形態という現象の仕方により、交換価値として現れるので、価値形態論は、どのようにして、なぜ、何によって、商品は貨幣となるかの、どのようにしてという論理を徹底的につきとめていくことになります。このように丸楠はひとの目に見えないものをきわめて明晰に解明していきます。なぜ商品の価値は他の商品の使用価値で自らの価値実態をあらわすのか。他の商品はその価値等式の右辺に置かれ、等価形態をとる場合に、左辺の商品に対して直接の交換可能性をもっているということはなぜか。等価形態がもつこうした謎が、なぜを解明する物神性論において説明されますが、単純な価値形態の分析、展開された価値形態、一般的価値形態と通して、等価形態がもっている特徴がとても重要です。ベーリーのリカードゥとの論戦は、価値論においての俗流経済学と古典派経済学の対立点の基本ですが、『剰余価値学説史』のこの部分はすっかり読み飛ばしていたか忘れていました。アリストテレスだけでなく、古典派経済学さえも、価値形態論のなかの、私的労働が社会的労働として展開する、等価形態においての特徴についての把握はまったくできていなかったのですから、ここの価値形態論の分析と展開は、資本主義社会の商品世界という極めて大きなレベルの社会認識において、重要なものであることは自明です。

『御社のチャラ男』の10個目の「チャラ男における不連続性-伊藤雪菜(29歳)による」を読み終えました。

オミクロン株は大変な猛威を振るい、いつ、このような状況が解決できるのか、だれにもわかりません。

自分も知りません、ということで本日はここまでということで。