2月11日(土)現実世界の二重性と真理観においての二諦論について、すこし思いを巡らしてみました。

本日も交通費ゼロです。食費は、朝がピュアな水200㏄で30円、昼はアオキスーパーにて食料品を1,744円購入、その内訳はミツカンごま豆乳鍋つゆ228円、赤鶏もも肉289円、紀州農園蜂蜜梅298円、モンブラン298円、粒あんパン×2で176円、丸大豆醤油298円で、本日は昼と夜ごま豆乳鍋とご飯、春キャベツの漬物を食し、食費計は1,774円です。そのほかに、本日は灯油20㍑2,050円を買い、支出計は3,824円です。

今日は名駅トヨタ総行動が取り組まれましたが、体調の調整もあって、参加しませんでした。寒いときは血圧が乱高下したりして、だんだんと死期が近づいているのかなということを考えます。生を諦め死を諦めて人間は日々を営まないといかんそうだから、そんなことはどうでもいいと思っておかないと<ということですね。寿命が来たらみんなお陀仏様となるわけですからね。

失われた時を求めて』は117頁まで読みました。ゲルマンと夫人にも、主人公は強い関心と想像力に満ちた把握をし、それが憧憬であるのか、欲望の対象としてなのか、精密な心理とともに描き出しており、はじめの部分でママに示したのとおなじような印象があります。

昔は、俗なるものに聖なるものは含まれたり、あるいは聖なるものに転ずることなどはあり得ないと考えていましたが、現実世界の二重性のもとにあって実際にそのようなことがあることを知るとともに、中観派の仏教論理学・認識論、すなわちチャンドラキールティやツォンカパの二諦論にしめされているような事物の捉え方は十分に理知的合理的な科学的な真理観と一致する側面を持っていると思います。

本日もこんなところで。