3月14日(木)朝はストライキ支援のびらまき、夕方は地域センター常任幹事会に出席しました。

朝のNTTでのびらまきは受けとりがとても良いうえに、なんか礼儀正しい人々が多いというのか、おはようございますの挨拶が返されることがかなりあり、とても気持ちのいい社前のとりくみでした。夕方は5分くらい遅刻してしまいましたが、和気藹々と会議が進行しました。

『悪霊』は、今日も1頁も読めませんでした。恒川さんの3つめの物語をあと3頁のところまで読み、これを寝る前に読み終えることができるかな、というところです。

ガザ南部のルフィで空から食糧などを投下される場所をイスラエル軍空爆したという報道があり、ハマスを殺害するために、パレスチナ人を殺害しているのか、と怒りを覚えました。

悪霊退散、ウクライナとガザに平和を、明日は書かないので、ごきげんよう、あさってにまた。

3月13日(水)

今日は4の田の田おこしをしました。

本は、文庫を少し読んだだけでした。

あしたとあさっては2024年春闘の山場として、ストライキでたたかう組合の社前集会などがあります。15日と16日は地方議員の選挙があり、飛騨方面に出張のため、書き込みができないでしょう。

本はなかなか読めないので、その日その日の出来事を書いていても、とくに変わったことがあるわけではありません。

それでも、それはそれでよしとして、また明日。

3月12日(火)イスラエルによるガザでのジェノサイドを批判する国民の倒閣運動が急速に発展する情勢にあると報道されています。

絲山さんの本は、これまでほぼすべて読んできたものですから、この作家の社会人になっての職業経験に材を得て書かれている内容は、すでに知っている事柄ですから、なんとなくマンネリのように思えていまいち面白みに欠けますが、そのうち面白い場面も出てくるかもしれないと、ひきつづき眠る前に読んでいます。今日は『悪霊』は1文字も読んでいません。かわって恒川さんの短編集『無貌の神』の2つの短編を読了し、次は85頁からです。物語の愉しみがあり、この作家の本もこれまでことごとく読んできており、また読めていないものも含めると5冊ほどになりましたので読み始めましたが、ちょっと面白いです。

今日は夕方まで雨がけっこう降っておりましたので、「無貌の神」を読み終え、そしてその次の「青天狗の乱」を先ほど読了しました。娯楽小説は、読むペースがちよっと早いです。どんどん読めるものを先行して読んでいく方が楽しいかもしれません。

本日は電車の中で『臨死体験』下巻も78頁まで読みました。

しかし最近は勉強不足なので、まともな勉強も少し考えて計画的におこなっていく必要もあるように思います。いろいろなことを様々に学んだり身につけたりしていくことも楽しいのであり、娯楽だけにふけっていて愉しんでいるだけなのもいけないかなとも思います。

ということで<また明日。

 

3月11日(月)今日は四日市に行き、近鉄百貨店でなが餅を買い、帰りに名古屋駅で御座候を10個購入して帰ってきました。

それがなんだっていうのか、だからどうしたのか、まるきり、ほとんど意味のない表題で申し訳ありません。最初、近鉄特急に特急券なしで飛び乗ろうとしたら、すべて座席指定のようで次々に指定座席のチケットをもったお客さんがやってきて、結局、こりゃダメだと飛び降りていつも乗っている急行に乗って四日市に行きました。行き先の地図を昨日の夜も見ていましたが、ヤフーもグーグルもあまりよくわからなくて、行ってみたらドンキホーテの中に入って右手行き止まり奥のエレベーターで上に上がるだけでした。今朝の運勢では、自分で吐き出したつばは自分で呑まないといけないよ、といったふうの、あんまりよろしいものではありませんでしたから、それはそれで大暴れせず、ほどほどにしておきました。

こういったことも毎日書けば切りがないし、読書ノートといっても、また1冊新しい本を増やしましたので、なんだかぼやっとしたようなものです。電車の中では、『臨死体験』下巻を読みながらサラダチキンなどを食べ、ほう16世紀のエリザベス女王お抱えでお気に入りの魔術師のような人が“眼玉”とよばれていていたことから、この人のサインが眼玉を意味する00と、好んでいた数字の7だったこと、それが007の始原となったという、これはこれで面白い話(70頁)。それからエジソンの話など。

明日もまた、面白い話があるといいな、と思いつつ、また明日。

 

3月10日(日)本日は原発ゼロ名古屋アクションという集会とデモに参加させていただきました。

午前中は名古屋市内の地域労連一本化の結成準備会第5回目に出席させていただき、栄地下の酒津屋さんで赤星ビールとかつおの刺身、冷や奴、ポテトフライをいただいて後、オアシス21でひらかれた表題の集会に参加しました。日の当たるところにいましたが、とても冷え込んでしまいました。その後のデモで、からだを動かし、シュプレヒコールをあげたので低体温症にならずに少しあたたまり、なおかつ自宅に帰って豆腐鍋などいただきましたので完全回復できました。

本日はここまで、また明日。

3月9日(土)世界中に日本よりとんでもなく悲惨な状況にある国々と、そこに生きる人々に思いを寄せて生きよう!

最賃生活体験運動は一日1ドルで暮らしている人々、2ドルで暮らしを営んでいる人々に思いを寄せて自己を律して生きるため、日々を大切にすることなんだろうと思っています。ですから、目が悪くても、必死になって本を読み、自分にできることは何なのかを考えて、とても無理なことはせずに生きています。労働組合の組織率がずっと低下しつづけていたり、とても困ったことが多くあります。今はまだどうすることもできないなら、仕方ありませんから、死ぬまで組織化のために使えるエネルギーを使い続けて、やれる限りのことをしていくまでです。あまりに酷い自民党政治の裏金の腐敗ぶりに怒りをもっていますが、憤激の自然発生生に拝跪しないよう注意しながら、健全で賢明なたたかい方をめざしています。国民のみんなが大体わかっていてもなかなか政権を倒すことに慎重なのは、何か理由があるに違いなく、そのことも踏まえて、結局は最大多数の自由と幸福へ向かっての歴史の進歩へそろって歩んでいけるのならいいと思います。しかし、それは他人任せでなく、歴史を切り開く力を必要としています。その推進力をとても利口で信頼が厚いものとして形成することも大事なことです。

本日、文学はなしにて、また明日。

 

3月8日(金)仮名漢字変換がうまくいかないことが続くとストレスがたまって怒りっぽくなってしまいますね。

今日は三の丸周辺の栄総行動オルグで、16475歩、歩いたので、大変有酸素運動をおこなわせていただき、ありがたいことです。おかげさまで、明日は休日とさせていただき、今日まったく読めなかった本を読もうと思います。だけど、今夜、寝る前に読む本は『神と黒蟹県』と決まっており、現段階では住宅建材メーカーで営業の仕事をしてきたという作者の経歴・経験をなぞったような文章がつづいており、この作者の小説やエッセイをことごとく読んできた人間としては新味もなく、面白くもなんともありません。本来再読していこうとしている『悪霊』についても、はじめのところは『虐げられた人々』とよく似た、ロシア上流社会とか知識人ごとき人々についての叙述はたいくつです。昔、回読んだときの印象と、ずいぶん違っていて、再読する場合に、昔はあまりつかめなかったところが良く理解できたりするのとは違い、なんとなく再読する価値があるかどうかといった銀すら浮かびます。それは、翻訳のあり方と関係するかどうか、まだなんとも言えません。しかし、亀山先生が書いているように、確かに翻訳については、リズムというものがあることは間違いないと思います。米川正夫さんの訳は、恐ろしく顔が長いという描写が印象に残るだけでなく、やはりとてもいいリズムがあるんじゃないか、と思います。

こうした文体、というものが人の思想や表現の力をあらわしていることは間違いないのだろうと思います。例えば根大江健三郎さんの初期作品の、読めばみずみずしい気分にしてくれる文体、ヘミングウェイの短く切れの良い、スパッと現実の場面を表現しきる文体、など小説もそうです。カール・マルクスの『資本論』の論理と歴史的事実の摘示の、そして例えば価値形態論でのような、なぜ、いかにして、どのようにという展開のあり方と文章・批判の力を強く適確に鋭く実感させるくれる、そのような文章はすばらしいな、と思います。

村上さんの小説も、『騎士団長殺し』もよかったし、『街とその不確かな壁』もよかった、と深く感じています。主人公と16歳で関わり、突然連絡の絶たれた謎の少女の本体は“街”の図書館で働きリンゴのお菓子を作ってくれる少女なのか、根源的な疑問を抱きつつ、また明日。