2月7日(木)今日は桜庭一樹さんの『道徳という名の少年』123頁を読了しました。

『悪霊』もちょびちょび読んでおり、いまやっと24頁ですが、あれやらこれやらと本を読んでいて同時並行で4種類を読み進めていました。そのうちの1冊が、表題のものです。

今日はリモコンが壊れたライトを交換していただき、さらに部屋が明るくなりました。ついでに暗かったダイニングの照明も付け替えていただいたので、全体としてとても明るい状態となっており、喜ばしい限りです。

眠る前には絲山さんの『神と黒蟹県』を読み、現在まだ12頁です。もう1冊は立花さんの『臨死体験』の下巻、今60頁で、此方は電車で移動中に読む文庫本です。

いろいろとこのところの老人性のぼけによって起こったミスを修復しようとしておるわけですが、鍵は出てきません。

困った。

また明日。

 

3月7日(水)最近、仮名漢字変換というか、キーボードの動作がおかしく、表題の入力がうまくいかないことがあります。

今日はなんとかなりましたが、それでも仮名漢字入力が勝手にアルファベットになっていたりする現象が2・3回おこりました。たったこれだけの文字数なのに、どうしたものなのか、コンピュータはいつまで使っていても難しい面があります。思うようにならないことは、そればかりでなく、大変たくさんあります。あるいはほとんどのことが思うようにいかなく、うまくいく方が少ないのかもしれません。昔の人は、足るを知ることにより、六分・七分で十分と心得て、満足しておくべきだと教えているようです。自分はそういうことを、奴隷根性を植え付けられて服従を強いられことなのではないか、と腹の中では思っています。不服従と抵抗への闘争心がありますと、「足るを知る」などということは鼻で嗤ってしまうのですが、それで苦しみが和らぐのならば、そのようなアヘンも良薬と思う人々も結構おられるのでしょう。けれども現実は、イスラエルハマスと一緒にパレスティナ人を絶滅できるならそうしたいと考えて戦争をやめないのと同じで、極めてリアルに残酷な事態がすすんでいるのです。こうしている間にも。だから、中途半端なことをしているわけにはいかず、苦しみを認識し、苦しみの根源を正確に把握し、苦しみを滅ぼす手段・方法をつかみ、全力でそれを実行していくしかなくなるのです。それでも、どうにもならないことがあり、どれだけ頑張ってみても、なんともならないことがあります。そのとき、どうすればいいのでしょう。何度も繰り返し苦しみを滅ぼす手立てを考え抜き、飽きず諦めず徹底してたたい続けるほかはありません。

多和田葉子さんの年表をずっと読んで思ったことは、この人は若いときから営々と努力を積み重ねておられるるし、才能にも恵まれチャンスというか、運と人望も相当にあつくあって立派な仕事を積み上げてこられているな、と感じました。

この年になって見習うこともできませんし、見習ってどうなるということもありませんが、若いときからしっかりと頑張ってきた人の足跡をたどることは気持ちのいいことです。

また明日。

 

 

3月6日(月)木)

おとついは照明のリモコンが壊れて、今日はその照明の取り外しの時、27インチのディスプレーを壊してしまい、挙げ句の果て、おうちの鍵と自転車のキー、ポストのキーの付いた一式をどこで第回かわからないのだけれどなくしてしまい、散々なことになっています。

ディスプレーは手持ちの1代が自宅でお休みになられておりましたので、なんとかPCは稼働できています。

本日、第101回栄総行動の会館内オルグで22団体にポスター扉、参加要請書を配達させていただいたのですが、参加要請書だけ30枚入った封筒1つをどこかの団体に間違えてお渡ししたようで、見当たらなくなりました。

注意力散漫でひどい老化現象に悩みが深くなるばかりです。

おかげさまで、多和田葉子さんの年表を読ませていただくだけで精一杯で、読書はまったく進みませんでした。

目も悪いため、これも老化現象の表れですけれど、困ったことです。

まだ寒さが厳しいですが、健康第一で老いなどものともせすに、悪霊退散のため、バリバリと『悪霊』を読み進めるため、

また明日。

3月4日(月)自民党はずぶずぶの金権腐敗の政党、統一教会=国際勝共連合と言い逃れのできない爛れた癒着をしてきた政党、岸信介-安倍晋三のつくった腐敗の構図。

『かかとを失くして』という和多田葉子さんの初期作品を集めた文庫本を、作者の年表まで読ませていただきました。『悪霊』そっちのけで。でも、解説を読むと、とても、なかなか、という、感じですね。

今日はそんなところで、

おとつい、「自民党はずぶずぶの金権腐敗の政党、統一教会国際勝共連合と言い逃れのできない爛れた癒着をしてきた政党、岸信介安倍晋三のつくった腐敗の構図を批判する表題で書いたら「公開する」が機能しなかったため、日付だけにしてアップしましたが、さて、今日はどうでしょうか?

うまくいったらまた明日。

3月3日(日)非常に多くの読まなければならない本があり、目が悪くなって一日に読めるページ数が少なくなっていることが残念です。

それでも今日はなんとか、『かかとを失くして』の解説を除いて、「作者から文庫読者のみなさんへ」という文章を読ませていただき、民主主義と人間のジェンダー意識の水準の関連についての正当で正常な認識をおもちなのだな、と喜びと共に理解させていただきました。

桐生さんの『夜の谷を行く』を読んでいるときにも思いましたが、おそらく世の中にはオウム真理教にシンパシーを感じる人がいるように、連合赤軍にもそういう人がいるわけです。

この世の犯罪をどのように考えるか、悪をどのように考えるか、自民党の裏金問題、パーティ券についてのキックバックの収支ともに隠蔽していたこと、それと連合赤軍の同志殺し、スターリン、爆弾テロ事件、いろいろなことがこの世の中には、あまりあってほしくないことではあっても、あるものです。

どうしようもないことにがんじがらめになって、人間は苦しみ続けていくのでしょうか?

その苦しみからの解放のためのたたかいの組織にも、同じ苦しみがあるというのは、なんとしたことでしょうか?

すべての苦しみを生み出す悪霊、退散!

また明日。

 

3/2

『悪霊』は第一部第一章の二迄読んだところでもたもたしており、多和田さんの短編集『かかとを欠くして』の3つめの短編「文字移植」とか桜庭さんの中編『道徳という名の少年』などを同時並行で読んでおり、前者が198頁、後者が102頁まで読み進めています。

今日は久々に今池の立ち飲み寿司屋へ行き、行列に並んで、まんぼうとかシーラとかいったつまみで赤星ビールを飲み、最後に本マグロと中トロのにぎりを3貫ずつ食べました。

帰りに、歩きながら、ロシアが侵略を続けているウクライナの民衆の苦しい暮らしや、イスラエル空爆とはマスとの戦闘が続くもとでのパレスチナの人々の飢餓の状況があること、また、ミャンマー軍事独裁へ抵抗を続けている庶民のこと、香港の民主活動家について、どうしてそういう苦しみが人間に加えられ続けているのか、と考えながら歩きました。

この世界が重層的であり、人間の中で矛盾した意識と行動があり、複雑に因果が絡み合いもつれ合っているとしても、苦しみをとらえ、四聖諦の観点から苦を除去できないものか、と思います。

悪を滅ぼしていかなければ、苦は除去できないのですから、悪霊退散を、単に祈るだけでなく、悪霊とたたかって滅ぼさないといけませんね。自民党政治を終わらせるたたかいのように。

また明日。