最賃生活体験運動は終わりましたが、3月1日(金)能登半島地震から2カ月、いまだ1万人以上が避難所生活という状況は、非常に苦しいのではないでしょうか?

ベリンスキーとかゲルツィンとか、ロシアの革命的民主主義の文芸評論家などの名前がでてきたり、フーリエ主義者といった(空想的)社会主義のグループが小説で出てくると、当時のロシアのツアーリーの警察権力の検閲官が、作者の思想傾向をなお危険なものと考えることは大いにありそうだと思われます。新薬を出された亀山先生も100分で名著において、この『悪霊』を読んだ頃、日本でも連合赤軍事件が起こり、精神的な衝撃を感じられたようにうかがえました。『夜の谷を行く』という小説には、フーセンババァと永田洋子への蔑称のあだ名をみんな知っていても、森の大声の威圧などもあって、そんなことは間違っている、と誰一人言えなかった状況など、一個の人間が抵抗できない組織の力とか、いろいろと考えさせられることがあります。その原点のようなところに、ドストエフスキーの『悪霊』は燦然とそびえている、とも言えるかもしれません。昔、高知一般のツナちゃんという戦士が書いていたブログで、「どうしてこんなことになってしまったんだろう」という文章があり、なにかそれを読んで感じることがあり、ずっとコメントをかいて激励していたことがありました。

『悪霊』を、3回目、読んでいくことにしました。

悪霊退散!

 

 

 

名前が出てきたり、

2月29日(木)最賃生活体験運動最終日、本日はドスト氏の『悪霊』を14頁まで読みはじめ、この世界からの悪霊退散を念じて過ごしました。

朝はヤクルト1本、紅茶350㏄、緑茶350㏄、水100㏄で50円。昼は、牡蠣・ホタテ・トーフ鍋と赤飯で900円、夕食はマグロ刺身と砂肝の唐揚げ、ゆで卵、ご飯および赤星ビールで1760円。交通費は590円。基本共済掛け金200円、任意共済掛け金4050円、組織費900円と1500円と1000円と80円。灯油18㍑1950円。携帯代金7800円。雑誌代2550円。

村上さんの『街と…』については、こちらの世界の図書館の女性職員で(亡くなる前も子易さんのもとで働いていたし、亡くなった後も)子易さんと話すことのできる希有な存在の人とか、子易さんのお墓参りの後で通い始めた喫茶店の女性とか主人公のかかわりのできる人があります。これらの人々のほかにもイエローマリンのパーカーを着た少年の父母・兄弟、あるいはまだ主人公が17歳で16歳の“影”であるという少女の、家の電話に出る多分父親だと思われる不機嫌そうな男、などがいます。

今日で、2月1ヶ月間の最賃生活体験運動は、一応終了します。近々集計を計算して提出しなければなりません。

それはそうと、村上さんの作品の主人公が、“街”をむさらなければならないことを事前に知って、少女に「また明日」といえなくで「さようなら」と告げなければならない場面は、人と人とが別れてしまうことへの哀惜の感情を呼び起こしますが、タンハーのような執着はあまりありません。次は、『悪霊』へむかって

さようなら。

 

2月28日(水)最賃生活体験運動28日目にして、ドストエフスキーの『悪霊』を再読(実は3度め)を開始し、この世界からの悪霊退散を切に祈る。

朝は緑茶200㏄と水200㏄で0円。昼は、ご飯、本マグロ赤身刺身、カツオ煮付け、春きゃへつ漬物、らっきょう、梅干しで760円、夕食はきつねうどんセット800円、交通費は400円。

閏年でなければ、例年であれば、今日で最賃生活体験運動は終了なのですが、あすもう一日あります。それどころか、このブログは最賃生活体験運動の1カ月限りつれづれなるままに書き綴るといったことで設置しているところ、新しいテーマをもって生きる記録、という意味合いのもとで、表題のようにドストエフスキーの『悪霊』を3度め読んでいこうと、構想の変更がおこってしまいました。それ自体は、人の人生においてよくあることでしょうね。

そういう構想変更において、Amazonのいろいろな本に、一位の感想が書き記されているレビューは、大変感心させられることがあります。多くの人々がいろいろな書物を読み、その知性を働かせて刺激に満ちた意見や感想や、小説であればその筋立ての整理を書かれています。とてもすばらしいことです。

ある意味で、人の意識がつぶさにすべてわかるものだとしたら、図書館はその空間となることは自明であり、子易さんの後をついだ主人公の仕事場としても、“街”の図書館での夢読みの場としたも、レビューのようにさまざまな人間の意識と記憶の総体があふれるほどに存在するトロなのかもしれません。

その図書館でリンゴのお菓子を食べてみたいとか、子易さんの入れてくれたような紅茶を飲んでみたいと思うならば、

また明日。

 

2月27日(火)最賃生活体験運動27日目、楽祭でもらった悪霊退散のシールを貼るのは、やっぱりドストエフスキーの『悪霊』の表紙がいいかな?

朝は水200㏄で0円。昼は、揚げとトーフの味噌汁に鶏五目ご飯、漬物、ハムエッグで680円。夕食は、本マグロ赤身・かつお・ブリの刺身三種とトーフの味噌汁に鶏五目ご飯、漬物、レモンサワーで1300円。交通費は590円。

桐生さんの本を読了したおかげもあり、楽祭で悪霊退散のシールをもらったこともあって、なんだかドストエフスキーの『悪霊』を3回目、読みたくなってしまいました。これまでに2回読んでいますが、二度とも米川正夫さんの訳文でした。

1回目は高校2年の時、2回目はその3年後だったと記憶しています。ずいぶん昔のことで、それからずっと読まずに忘れるにまかせてきました。いまや、まずまずほとんど忘れ去っています。大昔に読んだ本でも、もう一度読み返したいと思うものも確かにあります。ほとんどは、もういいやと思っていますけれど。

村上春樹さんの『街と不確かな壁』は、『騎士団長殺し』が2017年2月末から読み始めたことの、別様の続きのようなものでもありますが、それは単なる自分の内面世界においての連続性だけのことで、特段、小説世界においては(“影”が現実世界に戻ろうと飛び込む深い淵、そこからつがっている長いトンネル状のあの世とこの世をつないでいる通路のイメージのほかは)つながりはないように思います。

ただ、考えるのはその村上さんの死生観においての生の中に死があり、死の中に生がある、という認識でしょう。

主人公はどうもわかってはいなさそうなそのことについて、現実世界の自分を“影”だと理解している少女も、“街”の図書館で夢読みとしてすごす“少女”の本体である(と考えられる)少女も、子易さんも、イエローマリンのパーカーを着た少年もすべてどうもわかっているらしいことについて、主人公も知らないし理解していないし認識にないことであり、さらに主人公と同じように、読んでいる自分にも理解できていないことでありながら、世間の人々はおそらくみんな何らかの共通認識を持っていることなのかな、と思えてきます。

いつかこの世からいなくなっていくことへ向かって生きている自分に、純文学長編が教えてくれているものが何であるか、と考えながら。

また明日。

 

2月26日(月)最賃生活26日目、本日は栄総行動の事前申入れを終えて、 桐野夏生さんの『夜の谷を行く』を午後1時30分に読了いたしました。

朝は緑茶300㏄とみず100㏄で0円。昼は、KKR三の丸の旬菜弁当とサラダバイキングで1250円、夕食はトーフ鍋と鶏五目ご飯で800円。交通費は610円。

愛知県労働福祉課と愛知労働局企画室、投下愛農政局総務課に、栄総行動の事前申入れ行動で、午前中は三の丸を徘徊しました。よって、当初は野菜天ぷら定食でも昼食にいただこうかと思っていましたが、久しぶりにKKR三の丸の旬菜弁当とさせていただきました。そのあと、フロント前のソファで数頁残っていた桐野夏生さんの『夜の谷を行く』(299頁だったかな)を読み終えました。一番最後の頁については、いわゆるネタバレということになると思われるため、何も書くことはできません。しかし、この事件は現実にあったことであり、永田洋子や事件の関係者の名前や組織名はそのままルポのように書かれています。川島豪は姓だけ出てきましたが、当時のことがかなり克明に小説化されており、末尾の参考文献を見ると実際の当事者の遺したものを丁寧に踏まえている、と思われます。こうしたものも、現実と非現実といった実世界と、そこでの極めて非現実的なことの混交がみられます。

純文学長編でも、“影”は自らの衰退と死から逃れるために脱走、もとい“街”から深い淵に飛び込んで脱出しますが、どうもその行為は成功したようで、そのために主人公の本体も子易さんやイエローマリンのパーカーを着て図書館に通ってきている少年のいる、いかにも現実世界の田舎町の図書館長に採用されて新たな生活を営み始めるのです。それが小説の中でのこととわかっており、知っていても、内面世界でそうした現実生活の多重性を生きていくことの楽しさにふけることは、内面世界を豊かにしていくこととしてとても大切だと思っています。

また明日。

2月25日(日)最賃生活体験運動25日目、あと4日で終了。ウクライナに平和を!パレスティナに平和を!世界に恒久平和を!一切の暴力のない平和な世界を!

本日朝は、紅茶200㏄、緑茶350㏄、水200㏄で0円。昼は鶏白湯ラーメンセット1650円、夜は焼肉定食1200円。交通費は240円。そのほかにビア・レモンサワーとおつまみで1600円。

本日は、お昼ご飯を鶴舞で食べてから、ずっと楽祭の鑑賞を12時から夕方7時過ぎまで堪能させていただいておりました。

村上春樹氏の『街とその不確かな壁』は読み終えてからさまざまなことを想像したり感じたり考えたりすることに耽溺させていただきました。考えるという点では、いろいろとスルーすること、つまり答えの出ようのないことは考えないことにするのがほどほどで良いのです。知っていないこと、理解できないこと、それはたくさんありますが、イエローマリンのパーカーを着た少年のよう特殊な能力特殊な能力(例えば一度読んだ本のすべてを記憶にとどめることができるとか、人の誕生日の曜日を言い当てることができるとか)に恵まれていても、どんな書物にも書いていないこと、すなわち人類がまだ知ることができ人類以外の他の生命が人類以外の他の生命体(植物や昆虫や鳥などの動物等)が本能として習得していることは、ひとにはらえようがないものです。

生死についても、生死についても、ひとだけが理屈で認識したいと望み続けていても、そうはいかないことなのかもしれません。

そういうものは、夢見るように思い描くしかありません。図書館の少女を思い描き、また明日。

2月24日(土)最賃生活体験運動24日目、今日でロシアのウクライナ侵略戦争は2年を迎えましたが、戦争を終わらせるめどは未だに立っていません。

朝は水だけ200㏄0円。昼にほうれん草ベーコンに以下トッピングのスパゲティ1.5人前2620円。夕、ビール1本とレモンサワー2本で600円。交通費は560円。楽祭チケット1000円、新聞代3947円。

今日は朝、大木ゼミの修了レポートの発表会で、昼にパスタマニアへ行き旨いスパを食べましたが、値段が高いかもです。会場を見つけるのに、わかりにくい地図で、ずいぶん時間がかかりましたが、やっとたどりついて楽祭の鑑賞をおこなうことができました。

午後6時までで引き上げて、住民集会に参加しました。最近姿を見ない人のことをたずねたら、2年前に肺がんで亡くなっていたということを知ってびっくりしました。姿を見ていたりすると、子易さんのようなものだな、と思いました。

子易さんは主人公の図書館長の後継者としての面接もして、採用されたということだろうと思われたのですが、実はそのことは不確かなことです。主人公は子易さんの墓参りをして、墓の前で“街”のことを独り言として話していたところ、イエローマリンのパーカーを着た少年はその独り言を聞いたことから“街”のかなり詳細な地図を作成し、主人公に渡し、自分をその“街”に導いてもらえないかと求められます。その“街”にどうやって行くのか?

また明日。