3月5日(土)商品の物神性が貨幣生成の「なぜ」を明らかにしている、とはどういうことなのでしょうか。
今日は午前10時から、大木ゼミにおいて、『資本論』第1巻第1篇第4節「商品の物神的性格とその秘密」を勉強しました。
この第4節が第1章の「商品」の締めくくりなのです。グリントリッセでの貨幣論の端緒的研究とそこからの価値形態論への思考・論理の上行的進展ということは、どのようにして労働生産物は生産者随の交換者との間で商品となり、したがって、交換者の使用価値であるとともに交換価値となり、そのような価値形態を持つこととなるのかを、単純な相対的経緯形態と等値形態の分析により摘出しています。等値形態の謎の諸特徴がののかへ異形態の謎と貨幣の謎へとつながっていくのであり、そこにこそ、商品の物神的性格とその秘密がある、ということを認識し、それを理解しようとするときに、なにが何によって覆い隠されているのか、ということでは、人と人との関係が物と物との関係として現れることによる、人間の認識の転倒、そしてこれが発展すれば、上部構造領域においてのさまざまな転倒が起こっていくのだ、ということを知らなければなりません。
『資本論』第1章は、第1節こそ古典派経済学が発見した労働価値説を踏襲しているのであるとして、それ以降、この第4節まで、その価値形態論と物神性論のすべては、丸楠の新発見二他ならないのです。
そして、この第4節が第1章の「商品」の締めくくり、ということは、物による人の支配から資本による人間の支配に至る「秘密」を明らかにしている、ということを意味している、と思います。
本日はこんなところで。