3月6日(日)商品の物神性が貨幣生成の「なぜ」を明らかにしている、とはどういうことなのでしょうか。(続)

明日あたりからは、10日(木)に予定されている未来研究会の第25回の課題図書『デフレの正体』を読まなければなりません。ところで、マルサスの『人口論』のある種の再生産なのかなという感じですけれど、それは実際に読んでみないとわかりません。

それよりも、商品の物神性ということは、ある意味では、支配階級の思想的影響としてはとてもわかりやすい拝金主義とかを労働者の一部に植え込み、金儲けがすべてであり金持ちになることが人生の目的であると いった考え方をしている労働者があとを絶たないといったことも生み出しているのではないか、と思います。『資本論』という芸術的とも言いうる資本の運動法則の全面的解明の叙述の完成に力を注いだ丸楠のつくった本の第1章の締めくくり部分で、資本主義的生産様式のもとでの商品の分析から導き出されている、人間の意識・認識の転倒についてのとらえ方は、実に貨幣生成の「なぜ」を交換価値から等値形態の特徴に摘示するとともに、価値の価格への転換が、実際に交換過程で起こるために、そしてここにおいて欲望を持った商品所有者が現れて一商品が他 の商品と物々交換的に交換されることとしてよりも、価格となって貨幣と交換されることで物神性が完全に現れ出て、それが特段に機械と大工業のもとで高度に、上部構造領域の転倒となっていったとき、資本による社会の支配が支配的となり、現代世界においての意識と認識論上の大きな人類的錯誤さえ生み出すという内容にまで進展していくのです。

商品論は端緒としての商品分析により、こうしたことを、労働力の商品化の前にすでに示し得ているということに、丸楠の分析の奥深さとともに真理性を表現していることを教えています。

本日はこんなところで。