4月6日(水)戦争犯罪者=ロシアはウクライナから今すぐ出て行け!
『夢も見ずに眠った』は260頁まで読みました。
二重構造なのは、自己の内面だけではなく、この世界そのものの、対立面の統一という、そのものの矛盾としてのあり方に他なりません。高之はこれまで自分の中でずっとつむっていた目が何かのきっかけで開いて出来事を見始め、それまでの理解や認識と異なる見方から声を上げることを感じます。この開眼は実に重要です。
弁証法は事物の運動の根拠となっているものは対立面の統一と闘争、対立面の相互浸透についてどのようにとらえるかを基本においていますが、これは単に物質の内部でのことというのみではなく、あらゆる事象において、矛盾こそが運動なのであって、毛沢東の『矛盾論』はこの世界の事象が相互連関しながらその対立面において相矛盾して存在する運動となっており、その運動法則を反映によってとらえるのが弁証法的認識です。
この世界の始原は運動する物質であって、世界を構成する源基形態はそれ以外のものではありえません。そこから、弁証法的唯物論が世界認識=世界観として屹立します。
この哲学的見解は、まずドグマではなく、この世界のあらゆる事物が生成・発展・消滅する事、従ってどのような事柄についても非常に複雑な諸連関とともに運動の観点においてとらえます。
高之が自分の中の第二の目を見開くことができたとして、それは諸事象の認識あるいはまた記憶においての多様性の理解たりうるだけであるとしても、それはそれで一つの開眼であることは間違いないことでしょう。相次いで発展する認識の各段階は、それ自体が悟りの諸階梯となり、自己と他者に対する慈悲という出発点、すなわち即自的から対自的な自覚のあり方となってさらなる発展にすすんでいく可能性の法が形態と内容となります。
ウクライナに平和を!
本日はこんなところで。