2月17日(金)最賃生活体験運動17日目は、朝から夕方までとても忙しかったけれど、能登半島大震災の被災者の方々のことを考えていました。

朝はヤクルト1本とみず200㏄で50円。昼はざるそばで950円。夜は北法律の新人弁護士さんお披露目パーティに出席させていただき、4000円。食べたものは、ローストビーストレタスなどのサラダ&トマト&鶏ささみ肉。ブリ大根。鯛飯茶漬け。立食パーティで、とても豪華でした。交通費は、630円。

昨日は非現実について外国ばかりを書きましたが、今年の1月1日に発生した能登半島大震災の被災も、突然に予想していなかった状況にいきなりなってしまっていて、とても深刻な日常の変容であり、非現実が現実の側に強烈にその姿を現したということでしょうか。家族のすべてを失ってしまったり、極めて悲惨なことです。自分の身に起こったこととして想像力を巡らせて考えれば、気が狂ってしまっても仕方がないほどの事態です。『街とその不確かな壁』の主人公の恋人の少女が消え失せたり、子易さんの子どもが交通事故で亡くなり、妻が子どもが死んでしまったことは自分の過ちと考え詰めて増水した川に身を投げてしまう、という非現実の゜悲しい出来事と実際にこの世に現れる悲しい出来事も、同じことです。そうしたことが突然に人間に襲いかかる、ということは一生のうちにおこらない方がいいとしても、ないわけではありません。そういうことが起こってしまった人の苦しみと悲しみがいかばかりのものであるか、ということを人間は考え続けなければなりません。クーデターや戦争、あらゆる暴力と犯罪にさらされている人々もそうなのです。最低賃金で暮らしを営むしかない人々のように生きる、ということは実に非現実を内包した現実の理解に立ち、生のさなかに死を内包し、そのように生きることを通じて、重層的な現実を真につかんで生きることです。昔わけもわからないままに別れてしまった少女にどうしても会いたかった主人公のように、現実を乗り越えて“街”へ行かなければなりません。が少女が自分の本体だと語っていた図書館の“少女”と会うために。

また明日。