2月6日(日)今月初めてのお休みですが、夜8時頃になって急に仕事を思い出しました。

今日は歩いて行けるところ以外は行っていないため、交通費はゼロです。

歩いて行けるところと言うのはスーパーアオキです。

アオキの買い物は3,876円、キハダマグロの短冊とかぶりの切り身、トーフ、蜂蜜のほか、十六茶2㍑6本など、とても重い買い物でしたが、これを本日の食費代ということで計上させていただきます。実際に食べたのは、朝無し、昼は芋煮とタコとキュウリの酢の物、ご飯、夜はぶり照り焼き、豚汁、鮪とタコ入り五目寿司でした。

 

今日も大谷偵之介氏の『価値形態』の一般的価値形態のところを読みました。

『御社のチャラ男』は2頁しか読めていないので、眠る前にどのくらい読めるかです。

頭の中ではあれも読みたいこれも読みたいと煩悩が渦を巻いています。あれ、知的欲求っていうのもなにか煩悩なのでしょうか。なのでしょうねぇ。

それは、たとえばマルクスはヨハン・モストのいかい邸のための改訂のために書き加えた中でも価値形態論の多くの主要な内容は省いていて、労働者階級の資本認識においての重要性は、その学術的というか科学的な分析とか認識はそれほど重きを置くことではないもののように扱っている、という大谷さんの記述を読んで、やっぱりなぁ、という気がしました。労働者階級の『資本論』の理解において、価値形態論はどれくらいの重要性を持っているのでしょうか。経済学においては、これは革命的な理論展開なのですがね。なので、すすんで勉強する価値もありますけれど、そのような欲求と、煩悩とは区別されるのでしょうか。区別されると思います。それはナーガルジュナの『廻浄論』(じょうの字が変換候補の見当たらないが、さんずいがごんべんです)を学ぶようなものかもしれない、と思います。一生が勉強、というのはその通りですね。

本日もこんなところで。